CCS特集第1部:業界動向

コンビケム/HTS隆盛、医薬シフト鮮明に

 1998.11.20−新しい医薬品や機能材料の研究開発を支援するコンピューターケミストリーシステム(CCS)は、1980年代末から急速に応用が進んだが、ここ数年は日本の経済状態ともあいまって需要はあまり活発ではなく、苦しい事業環境に置かれるベンダーもでてきている。CCSの応用分野は大きく医薬品関係と材料関係に分かれるが、材料分野は民間での導入が減少しており、ほとんどが大学・官公庁関係で占められているのが現状。医薬品分野はコンビナトリアルケミストリー/ハイスループットスクリーニング(HTS)といった新技術の登場によって、従来の計算的手法ではなくデータベースを中心とした新しい手法やツールが急速に広まっており、CCS市場は大きく様変りしてきている。しかしながら、情報技術(IT)の重要性はますます高まる方向にあり、CCSを支える基盤技術・学術理論そのものもいまだ発展途上にあることから、これからもITと理論が両輪となって有用なシステムが次々に登場するだろう。

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 80年代末から90年代前半にかけての時期には、CCSに関してバラ色の未来が予想されていた。折りしも、スーパーコンピューターが全盛期を誇り、世界最速の計算スピードを次々と塗り変えていたころであり、近い将来にはあらゆる自然現象が計算で解き明かされることになると多くの人が信じていた。

 確かに機械などの工学的問題に関してはこの予測は当たっており、例えば自動車のボディの設計においてコンピューター上で衝突シミュレーションを行い強度を確認することなどは当たり前のように行われている。航空機の翼や船舶のスクリューなども、最も力学的効率に優れた形状が計算によって導き出されている。一方で、物質の本質たる素粒子などの世界を探索するためにも計算は重要な武器である。目には見えず、物質世界においては観察することも難しい事象を含んでいるためだ。

 ところが、“化学”は原子・分子といった微小な世界を基盤にしながら、最終的には物理的世界における物質を相手取っている技術・学問であるため、“計算”にとってはきわめて手強い対象ということになる。いまや、ある意味で、CCSにおいては計算の限界がはっきりと認識されてきている。

 旭化成工業で計算/モデリングを主体とするCCS利用を促進し、現在ではコンビケム/HTS技術に力を傾けている林紘ライフサイエンス総合研究所長は、「創薬は計算で行えるほど簡単なものじゃなかった」と結論する。林所長は「技術はいろいろに組み合わせるべきで、計算も適材適所で使う価値がある」と述べるが、「受容体のたん白質の結晶構造をX線で調べてみれば、計算とは構造がまったく逆だったということもある。また、薬物と受容体とのドッキングスタディにしても、分子は柔構造であり、そもそも金型にはめるようなものではない。明かに大きすぎる分子などはわかるが、実際には分子の構造をいろいろに修飾してみないと合成の人間としてはとても納得できるものではない」と指摘する。

 コンビケム/HTSについては第2部で触れるが、コンビケムが隆盛をきわめている現実は、計算の限界を踏まえた上でのCCS技術の方向転換としてもとらえることができるわけだ。

 このように計算の有効性を疑問視するのは世界的な傾向でもあり、欧米のCCSベンダーの中にはここ数年で医薬分野に特化する企業が増えてきている。コンビケムなどの計算に代わる技術が登場し、その有効性が認められているためである。逆に、材料分野は計算に代わる新しい技術が出現しないため、やや沈滞ムードに陥っているともいえるのである。90年代はじめはモデリングの御三家の一角だった米トライポスを筆頭に、英オックスフォードモレキュラーグループ(OMG)、OMGに買収された英ケミカルデザインなどははっきりとターゲットを医薬分野に絞っている。また、米MDLインフォメーションシステムズや英シノプシスなども製品戦略の中軸は医薬に傾斜しているように感じられる。

 こうしたなかで、“計算”の復権のきっかけになるかもしれないのが、今年のノーベル化学賞にノースウエスタン大学(イリノイ州)のジョン.A.ポープル教授が輝いたという“大事件”である。

 物質の性質や反応過程を調べる量子化学理論の構築に貢献したことを理由に、密度汎関数法を打ち立てたウォルター・コーン教授(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)とともに授賞したもの。ポープル教授は、量子化学理論に基づく分子軌道法プログラムの代表的存在である「GAUSSIAN」の開発者としての業績が評価された。

 日本の大学などでもよく指摘されていることだが、化学の世界ではソフトウエアの開発に関する学問的評価が低く、このことが国産CCS開発の遅れにつながっているという意見もある。今回の授賞を契機に、ソフト開発に対する学問的業績を高く見直す気運が盛り上がれば、計算化学技術は一段と発展を遂げる可能性があるといえそうだ。

 さて、このところ動きの鈍い材料設計CCS分野で、期待を集めているのが9月から本格的に動き始めた通産省の大学連携型プロジェクト「高機能材料設計プラットホームの開発」である。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から化学技術戦略推進機構(JCII)が委託を受けて実施しているもので、名古屋大学の土井正男教授をプロジェクトリーダーに、参加企業などから16名の出向研究者が参集して開発に入っている。

 プラスチック材料などの高分子のメソスコピック領域(ミクロとマクロをつなぐ中間領域)の計算手法およびプログラムを確立するとともに、将来的な発展・拡張の基盤になる共通的なCCSプラットホームを構築しようという試みで、当初の見込みよりは小振りなプロジェクトになってしまったが、国内の関連研究者の期待は大きい。プロジェクトは2002年3月までの予定だが、一部のソフトは来年から使用可能になる予定であり、CCSの材料分野への応用を呼び起こす起爆剤になる可能性は十分にある。

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 さて、「最新CCS世界地図」に示されているとおり、98年のCCS市場は大きな変化を経験した。まず言えることは、欧米ではCCSの適用対象が医薬品分野に絞られつつあるということである。

 すでに、米トライポスを筆頭に、数年前から医薬分野にフォーカスするベンダーも多かったが、この傾向を最も端的に象徴していたのが今年1月の米ファーマコピアによる米モレキュラーシミュレーションズ(MSI)の買収であろう。

 ファーマコピアは新進のコンビケムベンチャー、対するMSIはモデリング技術を得意とするCCSの最大手ベンダーである。買収時の両社の規模は、ファーマコピアが社員200名で売り上げが2,500万ドル、MSIは300名で5,000万ドルであり、まさに“小が大を食う”買収劇。ファーマコピアは米店頭市場であるNASDAQにすでに上場しており、ちょうどこの時期にMSIも上場の機会をうかがっていたが、MSI側としては単独で上場するよりも、ファーマコピアと合併して株式公開した方が株主などにとっても有利になると判断したようだ。

 MSIは11月に元ペンシルベニア州立大学のケネス.M.ウェルツ博士を迎えて「センター・フォア・インフォマティックス&ドラッグディスカバリー」(CIDD)なる組織を創設し、両社の技術を統合した新しい創薬ソリューションを開発する作業に入っている。

 ただ、MSIとしては「CERIUS2」に代表される材料系CCS開発も引き続き強化していく意向ではある。

 英オックスフォードモレキュラーグループ(OMG)は、昨年2月にコンビケムベンチャーの英ケンブリッジコンビナトリアルの設立に関与し、昨年8月に追加出資を行うなど関係を強化してきたが、今年の9月になってこれを買収する意向を示した。また、昨年12月にはHTS技術専門会社の英ケンブリッジドラッグディスカバリーに対して出資、今年5月にはコンビケム/HTS関連のデータベースシステムなどを持つ英ケミカルデザインを買収するなど、一連の施策を矢継ぎ早に実施し、医薬品分野へのフォーカスを明確にしはじめた。

 OMGは、遺伝子関連でも多くのソフトを買収してラインアップに加えてきていたが、最近では米サウスウエストパラレルソフトや米ゲノムインフォマティックスなどバイオインフォマティックス関連のソフトウエアの販売権獲得にも意欲をみせており、創薬支援というかたちでは最も包括的なソリューションを揃えてきている。

 一方、いち早く医薬品分野に特化した米トライポスは、コンビケム/HTS分野に絞って順調な実績を重ねている。昨年11月にファインケミカルメーカーの英レセプターリサーチを買収し、化合物ライブラリーの合成にも手を染め始めており、「リードクエスト」の商品名で化合物の販売を開始している。

 また、昨年3月に米MDLインフォメーションシステムズを買収した出版社のリードエルゼビアグループは、今年1月には独バイルシュタインインフォメーションシステムズも買収。化学データベースシステムの2大ベンダーを傘下に収めて、実質的な独占の地位を確立した。

 MDL自体はデータベースベンダーから脱却したソリューション志向を強めており、“ハイスループットディスカバリー”をキーワードに製品戦略の再構築を進めている。データベース技術を核にしながら研究プロセス全体を見直し、効率化を図るための具体的なソリューションを提供していく考えだという。ターゲットはやはり医薬品分野となるようだ。

 もうかるところにシフトするのは経済社会の当然のこととはいえ、材料設計CCSのいま一度の隆盛も望みたいところだ。