2002年秋のCCS特集第1部

総論:業界動向

 2002.12.04−新薬や新材料に関する研究開発を支援する情報技術(IT)を幅広く網羅したコンピューターケミストリーシステム(CCS)は、着実な市場の伸びをみせつつも、CCSベンダー各社をめぐる業界動向は大きな変化をみせている。CCSのソフトウエアは外国製品が中心で、国内ベンダーは商社やシステムインテグレーターで占められているのが現状だが、今年はとくに海外ベンダーの対日攻勢が強化され、国内の勢力図は大きく様変わりした。一方で、大学や研究機関を中心に国産CCS開発の気運が盛り上がりはじめたことも見逃せない。また、グリッドコンピューティングなどのHPC(ハイパフォーマンスコンピューティング)分野の新しい話題が登場したこともあって、IT業界のこの市場に対する関心はさらに高まりつつある。

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 昨年までの数年間は、欧米のCCS業界において買収・合併などの再編の動きが活発だったが、今年はいままでのところそうした大きな動きはない。米国の大手ベンダーにとってはむしろ対日戦略を強化した1年であり、それにともなって国内ベンダーの提携関係・販売網がかなり変化した。(最新CCS世界地図を参照)

 具体的には、すでに日本法人を構えている米アクセルリスと米MDLインフォメーションシステムズの2大ベンダーが、その日本法人の体制を大幅に強化した。アクセルリスは1992年3月(前身のMSIが帝人との合弁の形で進出し、1999年3月に完全子会社化)、MDLは1996年4月にそれぞれ日本法人を設立しているが、実際の販売と技術サポートは既存の代理店に依存した体制であり、実際には数名程度の陣容で代理店のフォローアップを中心にしたスタイルで長く運営されてきていた。

 ところが、今年あたりからは両社とも日本法人に対して大幅な投資を行ってきており、現在ではアクセルリスは約50名、日本MDLも約20名の人員をそろえるにいたっている。

 アクセルリスは、ケムインフォマティクス、バイオインフォマティクス、分子モデリング/分子シミュレーションのCCS三大領域を網羅する総合ベンダーで、ケムインフォで富士通、バイオインフォでは三井情報開発を代理店に起用している。モデリング分野を担当していたのは菱化システムで、アクセルリスにとって最い古い1987年以来のパートナーだったが、この契約を昨年末で終了させ、今年からはモデリング分野は直販体制に移行した。同時に、ケムインフォとバイオインフォ分野も含めて実務経験のある技術者を採用し、国内における技術サポート体制を整えた。

 菱化システムと組んでアクセルリス製品を販売していたダイキン工業は、官公庁市場を中心に引き続きアクセルリス製品を扱っており、このことにともなって1992年9月以来の菱化システムとダイキン工業のCCS事業でのパートナー関係が終結することになった。

 日本MDLも直販と技術サポートの体制を整備している。CTCラボラトリーシステムズ(CTCLS)が長年の代理店として統合化学情報管理システム「ISIS」の販売と技術サポートを手がけていたが、ここ数年でMDLの事業が広がり、ISIS以外のソフトが増えてきたため、そちらは日本MDL側で販売・サポートを行う体制へと変わってきていた。

 それを踏まえ、日本MDLは今年の7月に国内の事業体制を変更。ISIS用のデータベースコンテンツ製品と、旧バイルシュタインの「CrossFire」を代理店(富士通九州システムエンジニアリング、ユサコ、エルゼビア・サイエンスの3社)と併売する形で本格的に直販に乗り出すことになった。また、昨年買収したサイビジョン製品も以前の代理店である住商エレクトロニクスから日本MDLの独占販売体制に移行している。

 同時にサポートに関しても、各ユーザーには日本MDLとの直接の保守契約に切り替えてもらう方針で、徐々に引き継ぎを進めている。ソフトの開発元として、全世界で均一のサービスを提供したいというのが今回の体制変更の狙いだという。

 また、非経験的分子軌道法をベースにした分子モデリングシステム「SPARTAN」で知られている米ウェイブファンクションも、直接の事務所を8月に国内に開設した。まだ法人化はされていないが、来年に向けて国内での事業活動を活発化させていく方針だ。ウェイブファンクションの代理店は、1989年3月からCRCソリューションズ(当時は前身のセンチュリリサーチセンタ)が務めてきたが、その提携を7月末で解消。8月から直販に移行したことになる。

 ウェイブファンクション日本支店のスタッフは、CRCでSPARTANを長年扱ってきた人間であり、ユーザーサイドからみても移行に不安はないだろう。直販オンリーというわけではなく、あらためて国内の販売チャネルを整えていきたい考えである。

 一方、国内ベンダーの動きでは、アクセルリスとの提携を解消した菱化システムが、新しい製品を次々と海外から導入したことが目立った。この1年ほどで米イーオンテクノロジー、独コスモロジック、英インフォセンス、米ケムイノベーションなどと相次ぎ代理店契約を締結。小粒でも技術的に特徴のあるベンダーを集めた“専門店方式”でCCS事業の再構築を進めてきている。

 富士通も、2月に米ラブブック、3月に加ACDと代理店契約を締結するなど活発だった。それぞれすでにCTCLSとエルエイシステムズ(LAS)が販売権を得ていたベンダーだが、ラブブック製品に関してはCTCLSと並び立つ形で事業が展開されている。ACD製品は総代理店が富士通へと変更になったが、LASも富士通経由で販売活動を継続させている。とくにACD製品はスペクトル解析などの分析化学と深く結びついたシステムで、好調な売れ行きを示しているという。今年の富士通のCCS事業全体からみてもかなり貢献度が高いようだ。

 NECの分子グラフィックソフト「MolStudio」が米ガウシアンのルートで全世界に販売されるようになったことも今年の大きなトピックスである。7月にガウシアンと代理店契約を結んだもので、NECにとってCCSでの海外進出は初めて。国産のCCS製品が海外で販売されるのは、富士通が「WinMOPAC」や「CAChe」などを米シュレーディンガーに供給しているほか、歴史的にみても過去に数件の事例しかない。しかも、相手は計算化学の代名詞的存在である「GAUSSIAN」を擁するガウシアン社であるだけに、市場に与えたインパクトは大きかった。その成果が注目されるところだ。

 新しい国産CCSである「J-OCTA」の開発がスタートしたのも今年からだ。これは、経産省の大学連携型プロジェクト「高機能材料設計プラットホーム」(通称・土井プロジェクト)で開発された「OCTA」を商用化しようとするもので、日本総合研究所が3年計画で開発に着手している。当面は、フリーで公開されているOCTAの有償サポートを事業化しつつ、商用版の開発を推進していく。日本総研はCCS市場に新規参入したわけで、これも今後が楽しみである。

 他方、ケイ・ジー・ティー(KGT)が長年のCCS事業から撤退した。前身のクボタコンピュータ時代の1988年、米バイオデザイン(アクセルリスの前身の1社)のソフトを自社のグラフィックスーパーコンピューター「TITAN」に載せて販売したのがはじまりで、1991年5月には歴史上国内2番目(1番目は1989年10月に伊藤忠テクノサイエンスから独立したCTCLS)のCCS専業ベンダー「シミュレーションテクノロジー」(STI)を設立するなど、国内CCS市場の黎明期をリードしてきた存在だった。

 1994年から現KGTに再編されてCCS事業を継続してきていたが、昨年6月に米アクセルリス発足にともなう代理店網再編に関連して、主力だったアクセルリス製品の販売を中止。昨年いっぱいで残るキューケムやハイパーキューブ製品の販売からも手を引いた。

 このため、米キューケムの「Q-Chem」と加ハイパーキューブの「HyperChem」は今年に入って国内に代理店不在の状態となったが、6月にベストシステムズが既存ユーザーをそっくり引き継ぐ形で販売権を取得し、新たな体制が立ち上がっている。

 なお、国内でCCS事業からの完全撤退の主な先例としては、1995年の東レシステムセンター、1998年の長瀬産業と旭化成情報システム、2000年のソニー・テクトロニクスなどの例がある。

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 コンピューターケミストリーシステム(CCS)関連で、ハイパフォーマンスコンピューティング(HPC)需要が盛り上がってきた。パソコンを数多く接続して高速な計算を実現する「PCクラスター」が広く普及し、それとともにクラスターシステムを高密度で実装できる「ブレード型サーバー」が今年になって主要各社から出揃ってきた。「グリッドコンピューティング」も具体的な話題になりつつある。一方で、ハイエンドサーバーの大型案件での受注・導入も活発化してきており、コンピューターメーカー各社はあらためてこの市場への注目度を高めている(主要各社の戦略はCCS特集第2部も参照)。計算環境の進化がシミュレーションの新しい領域を切り開き、新薬や新材料開発の新しい手法の実用化に道をつけようとしている。

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 以前にCCS分野でHPC需要が盛り上がったのは、1980年代末から1990年代初めにかけての一時期だった。当時は世界的にスーパーコンピューターの導入熱が高まり、バブル期ではあったが、欧米の大手化学会社はもとより国内の化学業界でも競って新鋭機種を導入した。

 しかし、結論からいうと、期待に見合った成果をあげることができず、市場は一気に冷え込んだ。CCS全体としても、理論計算よりも実験データ解析を中心とした方法論が主流になった。いわばこの10年は“計算化学冬の時代”だったともいえるだろう。当時は、「スーパーコンピューターがあと千倍速ければ…」と嘆く研究者もいたが、いまや最先端のHPCマシンはその“千倍”を達成しつつある。民間企業がスーパーコンに飛びつくような時代が再び訪れるのだろうか。

 さて、HPCがあらためて注目されるようになったのは、ここ数年のゲノムブームに端を発している。具体的には、遺伝子の塩基配列から相同性を検索するプログラムである「BLAST」を高速化したいという要求が高まったためだ。オートシーケンサーなどの登場で塩基配列の解明速度が飛躍的に高まった結果、大規模な遺伝子データベースから大量の検索・解析をハイペースで実施することが求められるようになったのである。

 現在、BLASTではPCクラスターの採用が進んできている。PCクラスターは、以前は小規模のベンチャー的なベンダーが市販のパソコンなどをベースに組み上げて提供することが多かったが、今年になってパソコン本体の大手メーカーが直接この市場に乗り出し始めた。自社のPCクラスター上でいかにBLASTを最適化するかが各社の腕の見せ所となっている。

 国産勢では、富士通が6月からPCクラスター向けBLAST構築サービスを開始している。シーケンサーから出てきた断片の配列データを次々にBLASTにかける“大量クエリー検索”と、微生物の全ゲノムのような数100万塩基対の配列を検索のキーにする“大規模クエリー検索”の両方のパターンに対応できるようにチューニングを施している。32プロセッサー構成で単1プロセッサー時の50倍以上の性能を発揮できるという。

 日本ヒューレット・パッカード(旧コンパックコンピュータ)も、6月にデータベース分割方式でBLASTを高速化する「バイオチョッパー」を発表している。クラスター効果は、32プロセッサーで同様に32.5倍だという。同社は、データベースの取得をはじめとするBLASTの前処理を自動化するパッケージも提供するなど、総合的なシステムとして訴求しているようだ。

 NECは、9月に三菱スペース・ソフトウエアと共同で、米パラセルが提供しているBLASTを自社のPCクラスターに移植した。128プロセッサー構成で同じく200倍の高速化が実現できたとしている。NECでは、アミノ酸の相同性を検索するPSI-BLASTもPCクラスターに最適化して提供しているが、いまのところPSI-BLASTの並列化に成功しているのは同社だけだということだ。

 海外では、アップルコンピュータがジェネンテックと共同でBLASTを最新のマッキントッシュで高速化した事例がある。これはクラスターではなくSMP(対称型マルチプロセッサー)システムだが、標準のBLASTの5倍以上の高速化を実現。ヒューリンクスが9月から提供を始めた「TurboBLAST」(米ターボジェノミックス社製)を利用すると、クラスター環境でこのアップルジェネンテックBLASTが利用できる。

 ゲノム以外の分野では、たん白質と薬物分子とのドッキングシミュレーションでクラスターシステムの需要が広がりそうだ。住商エレクトロニクスが提供している米トライポスの「FlexX」、菱化システムが提供している加CCGの「MOE」など、具体的に対応したパッケージが登場してきている。

 以上の事例は伝統的な計算化学アプリケーションではないが、今年の4月には富士ゼロックスが科学技術振興事業団(JST)プロジェクト向けにたん白質向け分子動力学計算用クラスターシステムを納入したというトピックスがあった。今後、ライフサイエンスの研究活動がポストゲノムの領域に進むにつれ、たん白質の構造解析や機能解明を分子シミュレーション技術で行う機会が増えるとみられており、それがHPC需要を大きく押し上げる可能性がある。

 米国がNECの「地球シミュレータ」から世界最速の地位の奪還を目指してIBMと開発中の「BlueGene/L」も、メインのアプリケーションはたん白質の折り畳み問題などの計算シミュレーションなのである。米国のITベンダー各社は米国政府機関からのスーパーコンピューター開発プロジェクトを積極的に手がけている。日本では、複数のメーカーがスーパーコン開発を競うような政府プロジェクトは存在しないが、米国の取り組みをみると、何らかの対応が必要な時期になっているといえるかもしれない。

 ただ、こうした最先端のHPCシステムを民間が導入するような時代が再来するかというと、各メーカーとも懐疑的な意見がほとんどである。かなり高額なシステムになってしまうことと、計算のテーマが大き過ぎて民間企業レベルに納まらないということ、具体的な投資対効果が厳しく問われる時代になったことなどがその理由である。確かにその通りだが、夢は大きく持ちたいものだ。