2006年秋CCS特集:第2部 実用期に入った電子実験ノート

研究現場の業務改善に効果、紙と併用のハイブリッド型で導入先行

 2006.12.13−コンピューターケミストリーシステム(CCS)は、化学・医薬・材料などの研究を支援するIT(情報技術)ソリューションだが、大きく計算系と情報系のシステムに分けられる。さまざまな計算手法を用いて分子の特性などを予測したり解析したりする計算系のシステムに対し、情報系システムは研究の中で扱う各種のデータや情報、知識などを管理したり活用したりする機能が中心になる。なかでも、とくに今後普及が期待されている情報系システムが、電子実験ノートブックだ。古い言葉でいえば、実験現場のOA化である。電子署名法の施行など、企業内の各種ドキュメントの電子化の流れにも合致しており、コスト削減や業務改革にも結びつくと期待が大きい。研究現場に“革新”をもたらす存在になるかどうか、今後の発展が注目されている。

                ◇       ◇       ◇

 実験ノートは、研究者にとっては常にかたわらにある存在である。一般的に、研究の課題、仮説、実験データ(目的、計画、手順、使用する装置・材料・試料、実験結果)、考察、そしてアイデアなどを逐次的に記入していく。日付を必ず記し、自ら署名するほか、同僚や上司などにも署名・認証をしてもらう。一種の業務日報のように研究の進捗を明らかにするだけでなく、重要な発明や発見が得られた場合、それがいつ誰によって完成されたかを証明するための証拠ともなる。このため、先発明主義を採用する米国でとくに重要視されている。

 米CENSA(eノートブックシステム協会)の調査によると、実験ノートの参照頻度は毎日が14%、毎週が37%、毎月が35%となっており、電子化した場合の検索・参照の容易さによって、業務効率の改善効果が見込めるとしている。また、紙の実験ノートの場合、記載後は時間とともに管理費が増大し価値が下がっていくのに対して、電子ノートは記載後にも価値が向上していくと報告されている。

 下表に国内で販売されている主な電子実験ノートのソリューションをリストアップしてみた。すべて海外の製品である。化学構造式の記述や実験データの取り込みなど、化学・薬学分野に固有の要求を満たし、エクセルやワードなどのオフィスアプリケーションと連携する機能も備わっている。

 この中で最も実績があるのがケンブリッジソフトである。化学者の定番ソフトであるChemDrawで知られる同社は、1999年から個人用の電子実験ノートを製品化しており、学生版なども展開しているため、利用者の総数をつかめないほどだという。エンタープライズ版は、メルクが1,700ユーザー、アストラゼネカが1,000ユーザー、グラクソ・スミスクライン(GSK)が550ユーザーなどでの稼働実績があり、メルクは4,000ユーザーへ、GSKは3,500ユーザーへの増加を計画中だとされる。

 ElsevierMDLも、新プラットホームのIsentrisを浸透させるための戦略商品として電子実験ノートに力を入れており、バージョン2を投入したことで、年内には4−5社への導入が決定するとしている。

 電子実験ノート導入の最大の効果の一つは、研究者間の情報共有による効率化だろう。単純に実験の重複を避けることができるほか、過去のデータを参照することで、より高いレベルの実験を計画・実施することも可能。テンプレートの利用や自動化された実験装置との連携が容易なことなど、業務の迅速化による研究全体のスピードアップも期待できる。他部署のシステムとの統合によるコラボレーション効果も大きいとみられる。

 このように、電子化のメリットは大きいがいくつかの問題点もある。まずは、電子データであるゆえに、ノートの内容や日時、記入者などの改変が容易だという点である。ただ、こういった一般的な電子文書の信頼性の問題はすでに解決されつつあるといってよいだろう。電子証明書を使った電子署名や時刻認証技術を組み合わせることで、その電子ノートが特定の日時に作成され、真正に成立しており、以降も改変されていないことを法的なレベルで証明することができる。

 実際に電子実験ノートを導入した先行事例をみると、紙と電子を併用する“ハイブリッド型”と呼ばれるケースが多い。電子ノートに記述したあと、それを印刷し、署名して紙のノートに貼り付けて保管するという方法である。一見、回りくどいようだが、これが現実的なのだという。

 例えば、実験室内にパソコンを持ち込むことができないことも多い。あるユーザー事例では、合成実験で行う反応式や各試薬の予定仕込み量、実験手順などを電子ノートに入力したあと、印刷した用紙を実験室内に持ち込んで実際に作業を行う。そして、その実際の仕込み量を用紙にメモして戻り、電子ノートに入力しなおすのである。

 古い紙のノートはスキャンしてPDF化し、電子署名を付しておくケースもあるが、過去の実験において再利用すべき重要なデータはすでに電子化されてサーバーに入っていることがほとんどなので、データを参照するという観点だけからすると、古いノートは紙のまま保管しておいて、余計なコストや時間をかけないという選択肢もあるだろう。

 いずれにしても、電子実験ノートは、対象になった研究員すべてが継続的につけ続けることができなければ、その導入プロジェクトは失敗に終わる。電子署名や時刻認証を使えば完全電子化することも可能だが、研究員すべての協力が得られるように、ステップバイステップで慎重にプロジェクトを進めることが重要だろう。

主な電子実験ノートブック製品

商品名 開発会社 国内販売会社 機能・特徴
E-Notebook Enterprise 米ケンブリッジソフト 富士通、ヒューリンクス 個人用の電子実験ノートブックからスタートしてエンタープライズ版にまで発展してきた。欧米メガファーマでは数千人規模で使われている事例もある
MDL Notebook 米Elsevier MDL Elsevier MDL Isentrisを基盤にした電子実験ノートソリューション。MDLの豊富なコンテンツとの統合や既存プラットホーム製品であるISISとの連携など、実戦的なシステムを容易に構築できる
iELN 米シミックス CTCラボラトリーシステムズ 旧インテリケムの製品。製薬企業の研究で用いられる化学・生物・分析分野の5業務に対応したコンポーネントをそろえている
ARTHUR Suite 旧シンセマティクスの製品。研究者が計画した合成経路とその実験に関する情報を、サーバー上で電子化して一元管理する
Bewnchware NoteBook 米トライポス 住商情報システム シェーリングとの共同開発をもとに製品化。進捗管理、プロジェクト管理、化合物ID管理、各種分析機器の結果データの蓄積/管理が可能
Sentient Desktop 米IOインフォマティクス 菱化システム 個人あるいはグループ単位で使える電子実験ノート。バイオ研究者向けで、ファイル形式の異なる各種情報を共通のユーザーインターフェース上で統合できる