2007年秋CCS特集:総論

化学・製薬企業の研究開発基盤の革新へ

 2007.11.26−2007年はコンピューターケミストリーシステム(CCS)産業にとって大きな変化の年となった。業界内のM&Aが活発化し、勢力図の大きな変動が生じている。そうした中で、化学物質の情報管理や研究ワークフロー管理などのケムインフォマティクス領域のシステムに大きな注目が集まってきている。また、研究で必要になるさまざまな情報へのアクセスにおいてインターネットの役割が高まり、データベース(DB)サービスへのニーズが急速に高まってきた。国内では、バイオブームの終えんとともに材料設計支援システムへの関心が再燃し、国産ソフト開発もあらためて活性化しつつある。主要ベンダー各社は、単発的な製品や技術ではなく、ユーザーの研究開発業務を深く理解して、そのワークフローに沿ったかたちで総合的なソリューションを提供する方向へと大きくハンドルを切ってきた。このため、来年以降もM&Aやアライアンスがさらに進展するだろう。

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業界の勢力図激変、古参ベンダーが相次ぎ買収対象に

 今年最初の大きな変化は、米トライポスの身売り。昨年11月に投資会社のベクターキャピタルに事業を売却することが発表された。今年の4月に社名が「トライポスインターナショナル」に変わり、新体制がスタートしている。

 基本的に旧トライポスの体制を引き継いでおり、ミズーリ州セントルイスの本拠はそのままで、総計100人ほどの社員が新会社でも勤務しているとされる。国内における販売体制は、4月から新たにワールドフュージョンが代理店となり、実態として以前の代理店だった住商情報システムから事業が引き継がれたかたちとなっている。

 ベクターキャピタルは投資会社であり、最終的な目標は再度トライポスを上場させて、株式の売却益を得ることだと思われる。投資のスパンからみて、おそらく3年後が1つの目安となるだろう。

 CCS業界では、ベンダー同士の買収・合併はこれまでに何度も生じたが、まったくの外部企業への身売りは初めてだったため、ユーザーの中には製品の開発やサポートの面で若干の不安感もあった。しかし、現在のところ新生トライポスの活動は非常に活発である。これは、ベクター側としても新生トライポスの企業価値を高めておく必要があるためで、積極的な投資が行われているようだ。実際、開発のペースも良好で、年内から来年初めにかけて主力製品「SYBYL」の最新バージョン8.0のメジャーリリースが予定されている。

 新生トライポスの誕生を超えた今年最大の驚きは、8月に発表された米シミックス・テクノロジーズによる米MDLインフォメーションシステムズの買収だろう。トライポスの設立は1979年、MDL(設立当時はモレキュラーデザイン)は1978年で、業界で最も古株の2社(1970年代に設立しているのはこの2社だけ)であり、それが今年そろって新しい体制になったことは、CCS産業が新しい段階を迎えたことを象徴しているともいえそうだ。

 シミックスの設立は1995年。ハイスループット実験技術のパイオニアであり、実はMDLの創業者が立ち上げた企業である。研究や実験のハード面を中心とした既存事業に、IT(情報技術)およびソフトウエアによるインフラを加えることで、ユーザー企業の研究開発を包括的に支援する目的でMDLを買収し、一体化させた。

 そして、新生シミックスは10月から発足。新生シミックスのソフトウエア事業部門の本拠は、カリフォルニア州サンタクララの旧MDL本社に置かれている。ただ、製品体系はドラスチックに変わった。歴史と知名度の高いMDLのブランドを引き継ぐ方針だったが、ぎりぎりで製品名からMDLの名前を外すことになった。これは、むしろ旧MDLメンバーがSymyxブランドに統一することを進言したためだという。実は、旧MDLは2000年ごろから2002年にかけて、製品名やブランドの不統一による混乱を起こしたという経験があり、そのために今回の判断に至ったようだ。

 これにより、基盤製品の「MDL Isentris」は「Symyx Isentris」に、ドローツールの「MDL Draw」は「Symyx Draw」−という具合に製品名が変更された。製品体系全体も再構成され、Symyxソフトウエア事業部門としては“電子実験ノートブック”、“ハイスループット実験の実施と分析”、“エクスペリメンタルロジスティクス”、“データアクセス・解析・デシジョンサポート”の4分野に再編された。このうち、Isentrisは4つ目の分野に位置づけられている。

 これら以外で、今年の目立った買収としては、CCSの関連でデータマイニングソフトとして多用される「スポットファイアー」を提供している米スポットファイアーが、6月に米ティブコソフトウェアに買収された件がある。ティブコはビジネスプロセス管理(BPM)市場の大手ベンダーで、スポットファイアーのデータ解析機能をビジネス用途で利用することが、買収の主な狙いだった。

 7月には日本法人のスポットファイアー・ジャパンが、日本ティブコソフトウェアのスポットファイアー事業部として吸収され、新体制での事業展開がすでに軌道に乗ってきているようだ。

 CCSとの関連でのライフサイエンス用途も決して忘れられたわけではなく、製薬企業におけるデータ分析のワークフローをサポートする「Spotfireデシジョンサイト」の最新バージョン9.1がこの10月末にリリースされている。

 また、9月には、化学・創薬情報プロバイダーの最大手である米トムソンサイエンティフィックが、スペインのプロウスサイエンスを買収したと発表した。トムソンの「ThomsonPharma」とプロウスの「Integrity」は、ともに製薬企業向けの統合情報サービスで、明らかに競合する存在。どちらも、新薬開発のプロセス全体を通して、またビジネス上の高度な意思決定までをサポートする情報の広さと深さで定評がある。

 トムソンサイエンティフィックは、これまでもコンテンツ充実の目的で多数のDBベンダー/情報サービスプロバイダーを買収してきており、その意味では手馴れていて今回の買収も順調に進むとみられる。当面は、プロウスのIntegrityのサービスはそのまま継続され、日本法人のプロウスサイエンスジャパンも存続させるという。

 スペインに本社を構えるプロウスは、米国よりも日本での売り上げが大きい。逆にいうと、米国市場への浸透が遅れていたわけで、今回の合併はプロウスのサービス拡大という面でも多大の効果があるだろう。将来的には、ThomsonPharmaとIntegrityの相互補完によるシナジーも図られるはずで、ユーザーの立場からも今後が期待される。

 欧米のCCS産業は、MDLやトライポス、アクセルリスといった古参のベンダーに対して、加CCG、米ケンブリッジソフト、米シュレーディンガー、米シミュレーションズプラスなどの中堅どころがますます力をつけてきている。

 これからの主戦場の筆頭はケムインフォマティクス市場。企業内の化合物管理のプラットホームとして圧倒的なシェアを築いた旧MDLの「ISIS」がその製品寿命を終えつつあるため、それをリプレースすることを狙って、来年は大きな動きが起こりそうだ。

 ISISの更新は、製薬・化学企業の研究開発基盤そのものの大幅な革新をともなうとみられ、プロジェクトも大型化・長期化するのは確実。ベンダー側には包括的な製品ラインを持つことに加え、その導入・構築・運用を十分にサポートできる体制が必要になる。その意味で、大手ベンダーの拡大路線は、ここ当分は続くと予想されよう。

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材料系CCSで活気づく国内市場、バイオITブームは終えん

 国内においては、バイオITブームの終えんをいよいよ決定づけたことが、今年の大きな話題となった。象徴的だったのが、3月末での日立製作所・ライフサイエンス推進事業部の解散。1999年10月に当時11番目の社内カンパニーとして設立された事業部で、当初はシステムインテグレーション(SI)やソフトウエア販売などのコンピューターベンダーらしい事業も多かったが、のちに“ウエット系”の受託サービスを中心に据えるようになり、他のITベンダーとは一線を画すアプローチをとっていた。

 当時は、ゲノム研究を中心とした生命科学分野に国の予算が潤沢に投入され、バイオインフォマティクスブームにITベンダー各社が飛びついた時代。日立製作所だけでなく、日本IBMや富士通、NECもライフサイエンス専門事業部門を組織してバイオ市場にアプローチした。それだけでなく、サン・マイクロシステムズなどの外資系ハードベンダー、オラクルといったビジネス系のソフトベンダー、国内の大手システムインテグレーターも官公庁プロジェクトの受注を争って参入するという沸き立つ状況がみられた。

 ところが、IT業界からみたバイオインフォマティクス事業は2002年度から伸びが鈍化し、2004年度に急激に落ち込んだ。まさしく、国家プロジェクト依存型の問題点を一気に露呈した格好となった。

 そうしたなか、マーケティング支援が中心だった日本IBMは昨年までに「ライフサイエンス事業推進部」(2001年10月設立)を解散していたようで、NECも2000年9月に「バイオIT事業推進室」(現バイオIT事業推進センター)を設立したが、今年3月末にその製品の1つである「MolStudio」の販売を停止するなど、停滞気味となっている。同事業のホームページも実質的に今年は一度も更新されていない。

 そのほか、インテック・ウェブ・アンド・ゲノム・インフォマティクスも昨年9月に上場を廃止、三井情報開発が協和発酵と共同で2000年10月に設立した微生物ゲノムベンダー「ザナジェン」も、今年3月末で解散となった。

 ただ、国内のバイオ市場が壊滅したわけではなく、バブル的なブームが去ったと受け取るべきだろう。実際、日立ソフトなどの長年のバイオインフォ系ベンダーは、一時期よりは売り上げを大きく下げたものの、2006年度からは再び成長に転じている。

 一方、バイオに代わって、国内市場で高まっているのが材料系CCSへの関心である。欧米では米アクセルリスの「マテリアルスタジオ」が支配的な製品の位置を独占しているが、日本では国産ソフトも登場して市場をにぎわせている。

 先鞭をつけたのは、日本総研ソリューションズの「J-OCTA」。もともとは、経済産業省プロジェクト「高分子材料設計プラットホームの開発」で開発されたものだが、このプロジェクトのすごいところは、2002年3月に終了したにもかかわらず、いまだに開発が続いていることだ。ボランティアベースだが、年ごとにバージョンアップが行われており、最新の「OCTA2007」が今月から無償で配布されている。

 J-OCTAは、このフリー版OCTAの計算エンジンを利用しつつ、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)などの周辺部分をつくり込んで商用化したものである。

 これに加えて、アドバンスソフトが商品化している文部科学省プロジェクト「革新的シミュレーションソフトウエアの研究開発」(RSS21)ベースの製品群がある。

 日本総研ソリューションズもアドバンスソフトも、実際にプロジェクトに参画した開発メンバーであり、2004年に両社がそれぞれニューカマーとして活動を始めたことが、国内での材料系CCS人気の再燃につながったことは間違いない。

 これに対して、富士通もこの10月末に正式に材料系CCSの新統合プラットホーム計画を公表した。「SCIGRESS」の名称で材料設計のシステム基盤を共通化し、自社製および他社製の各種計算エンジン、アカデミックプログラムを組み込んで自由に利用できるようにする。構想の枠組みはOCTAに似ているが、狙っている領域はやや異なるように思われる。

 また、菱化システムも、小規模ながら材料分野でユニークな技術を持つベンダーに注目し、それらの製品を次々に国内に紹介している。今年はとくにそれらの材料系製品の販売が好調だということだ。

 この分野は、自動車やエレクトロニクスなど、日本が得意とする産業にかかわる材料開発が対象となるだけに、今後も関心は高く維持されるだろう。ユーザーの期待の目が向けられている間に、実際に研究に役立つ成果・事例をいかに打ち出せるかがカギになりそうだ。