東京大学生産技術研究所がRSS21プロジェクトの最終成果を発表
革新的シミュレーションソフト公開、産業界での応用も進展
2008.01.18−東京大学生産技術研究所は17日、記者会見を開き、文部科学省プロジェクト「革新的シミュレーションソフトウエアの研究開発」(RSS21)の最終成果がまとまったと発表した。21世紀にわが国の産業や科学技術の発展を達成するための基盤となるシミュレーションソフトを開発することを目指したもの。先端・最新の学問を反映したソフトをつくり上げるだけでなく、ソフト業界を巻き込んだ商用化の実現、実際の企業の研究開発における技術検証や応用展開などを同時に進めたユニークなプロジェクトで、公開フリー版のソフト群はプロジェクトのサイトからダウンロードが可能。プロジェクトリーダーの加藤千幸教授は、ソフトが完成しただけでなく、すでに産業界で普及が始まっていることを強調した。
RSS21は、前身の「戦略的基盤ソフトウエアの開発」(FSIS)を引き継いで2005年度からスタートした3年間のプロジェクトで、東大生研の計算科学技術連携研究センターの約120人のスタッフを中心にしながら産学官共同のスタイルで開発が行われた。総事業費は約36億円。
具体的な研究成果であるソフトウエア群(別表参照)は、最終バージョンが昨年12月3日に公開(http://www.rss21.iis.u-tokyo.ac.jp)されている。最後のバグ修正作業中のプログラムも一部あるが、2月の初めには最終パッチが出揃う予定となっている。
東大生研では、この1月に「革新的シミュレーション研究センター」(加藤千幸教授がセンター長に就任)を正式な組織として発足させた。RSS21のプログラムやライセンスはここで管理されていくようだ。ただ、プロジェクトが終了したのちは、プログラムのバージョンアップなどは行われない模様。
RSS21の成果は、すでに商用版を発売しているアドバンスソフトやみずほ情報総研に加え、日本システム、NECソフト、富士通、HPCシステム、日本オンリーワン、アースアプレーザル、情報数理研究所、エス・アイ・ティー−に対して商用ライセンスが交付されていることが今回公表された。
今後もこれらの企業を通して商用版のバージョンアップは行われるだろうが、シミュレーションソフトはコアとなる計算エンジンに最新の学問が随時フィードバックされなければ、結局は陳腐化してしまう懸念もある。加藤教授も、「RSS21の成果を基盤にしてさらなる開発・発展を目指すプロジェクトが新たに立ち上がることを期待したい」としている。
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今回の記者会見では、公開ソフトの中から4種類のシステムと、産業界における適用事例3件が紹介された。
取り上げられたのは、たん白質全電子計算シミュレーションシステム「ProteinDF」(発表者は佐藤文俊准教授)、ナノ機能統合シミュレーションシステム「PHASE」(発表者はアドバンスソフトの宇田毅部長)、器官・組織・細胞マルチスケール・マルチフィジックスシミュレーションシステム「M-SPhyR」(発表者は大島まり教授)、都市環境・安全シミュレーションシステム「EVE SAYFA」(発表者は黄弘助教)−の4本。
たん白質の電子状態の計算は、Gaussianに導入されているQM/MM法やONIOM法を用いる方法が一般的だが、ProteinDFはそれらのような近似を用いずにカノニカル波動関数計算によってすべての電子を考慮できることが特徴。グローバルで正しい電子分布が得られるため、たん白質の機能を正確に予測・評価することができる。とくに、局所密度汎関数法よりも1ケタ精度が高いハイブリッド汎関数法を採用しつつ、現実的な計算時間で大規模なたん白質全体を計算できることを実証した。プロジェクトでは、約100種類のたん白質の全電子計算を実施し、再利用可能なデータベースとしてまとめた「ProteinQR」も開発されたが、これはファイルサイズが1GBを超えているため、ネットでの公開は控えられているという。
PHASEは、物質の原子構造・電子構造だけでなく、誘電応答や化学反応などの物性・機能を高精度に解析・予測するシステム。次世代電子デバイスのための高誘電率材料の探索、バイオセンサー開発などへの応用が期待できるという。プロジェクトにおいては、地球シミュレータを利用し、シリコン基板中の不純物に対する1万648原子の大規模計算に世界で初めて成功した。地球シミュレータの512ノード(4,096CPU)をフルに使って10日間かかった計算だったが、「一般のソフトはこれほどたくさんのCPUに対応できていない。大規模並列計算機をきちんと利用できたこと自体も成果である。次世代スパコンではさらに並列度が上がるので今回のノウハウは貴重」(加藤教授)という。
一方、動脈瘤や動脈硬化などの循環器系疾患の発生や進行を解析できるのがM-SPhyRである。医用画像をもとに血管のモデルを作成し、血流や血中の物質輸送(悪玉コレステロールなど)、血管壁との相互作用などをシミュレーションすることが可能。患者個人の画像を利用できるため、予防や治療に役立つと期待される。グループリーダーの大島まり教授は「画像が粗いとモデリングだけで4−5日かかる場合もあるが、医療の現場では最悪でも一昼夜で結果がほしいと要望されている。今後さらに臨床での応用研究を進めたい」としている。
EVE SAYFAも他に類例のないシステム。仮想ビルデータベースを核に、ネットワークモデルによる安全解析を行うEVESAYFA/1D、3次元モデルによる実大空間火災安全詳細解析を行うEVESAYFA/3Dなどのプログラムで構成される。安全性と環境快適性を建築設計の各デザインフェーズで評価することを目指している。「これは、まず基準ありきの世界。計算や理論モデルを持ち込もうという発想がなかった」(加藤教授)ということで、今後の応用が注目されよう。
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産業界の適用事例では、たん白質−医薬品候補化合物相互作用シミュレーションシステムBioStationの事例をキッセイ薬品工業・創薬研究部の小沢知永副主任研究員が発表した。とくに、アミノ酸残基ごとに相互作用の強さ(結合のしやすさ)を評価できるため、活性値を高めるためにどうするべきかの貴重なアイデアが得られたという。また、BioStationの解析結果の信頼性が高いことも確認した。たん白質全体を量子化学的に考察できるので、精度が高いことが魅力であるとした。
次に、マルチフィジックス流体シミュレーションシステムFrontFlow/blueをロケットエンジン開発に応用した事例を宇宙航空研究開発機構の山西伸宏主任開発員が紹介。現行のH-2AロケットのLE-7Aエンジンは10年をかけて10台以上のエンジンを試作して開発されたが、次期HXロケットのエンジンは開発期間とコストを半減、信頼性を2倍に高める目標で取り組んでおり、そのためにシミュレーション技術が大きな働きをすると述べた。適用事例では、燃料を供給する液体水素ターボポンプのケーシング振動、液体酸素ターボポンプの逆流渦キャビテーションの解析を実行した。
最後の事例は、自動車の車体まわりの非定常空気流動をLES(ラージエディシミュレーション)解析した事例で、北海道大学の坪倉誠准教授とマツダの農沢隆秀車両実験部長から発表された。FrontFlow/redを利用し、走行安全性を損なう車両ヨー角(急な横風などに対応)変動時に作用する非定常空力の予測を達成した。この問題は、風洞実験では評価することが難しかったという。シミュレーションが風洞実験を置き換えるレベルに近づきつつあることが強調された。
グループ | サブテーマ | 代表システム名 | システムの特徴 | 公開ソフトウエア |
生命現象 | 創薬・バイオ新基盤技術開発へ向けたたん白質反応全電子シミュレーション | ProteinDF | ・世界最大規模(1,000残基)のたん白質全電子計算 ・たん白質解明に寄与する多機能統合計算 | ProteinDF System 1.4 |
ProteinDF Ver1.4 | ||||
ProteinEditor Ver1.4 | ||||
ProteinMD Ver1.0 | ||||
たん白質−化学物質相互作用マルチスケールシミュレーション | BioStation | ・たん白質−化学物質(医薬品候補物質)相互作用統合解析・可視化 ・FMO法(非経験的フラグメント分子軌道法)による巨大分子系の解析 | ABINIT-MP Ver4.1 | |
BioStation Viewer Ver8.00 | ||||
BioStation Launcher Ver1.5 | ||||
KiBank | ||||
器官・組織・細胞マルチスケール/マルチフィジックスシミュレーション | M-SphyR | ・医用画像(CT、MRI画像)を用いて血管3次元表面データを構築 ・大規模3次元マルチスケール血流解析 ・血管壁への物質輸送解析 ・血流と血管壁の流体構造連成解析 ・グラフィカルユーザーインターフェース | M-SPhyR Ver1.0 | |
マルチスケール連成 | ナノ・物質・材料マルチスケール機能シミュレーション | CHASE-3PT | ・ナノ材料のマルチスケール多機能統合解析と設計支援環境 ・地球シミュレータ環境下での超大規模ナノ特性解析 | PHASE Ver7.00 |
UVSOR Ver3.10 | ||||
MonCafe Ver1.00 | ||||
ASCOT Ver3.0 | ||||
CAMUS-FSIS Ver2.0 | ||||
MEAMDB Ver1.00 | ||||
革新的汎用連成シミュレーション | REVOCAP | ・構造、流体、磁場、熱の各単一現象解析ソフトウエアの連成する物理量を相互に接続するプログラム ・連成解析に対応したプリ処理・ポスト処理機能を有するアプリケーション ・高速な大規模並列磁場解析が可能なプログラム | REVOCAP_Coupler Ver1.0 | |
REVOCAP_Mesh Ver1.1 | ||||
REVOCAP_Visual Ver1.0 | ||||
REVOCAP_Magnetic Ver1.0 | ||||
マルチフィジックス流体シミュレーション | FrontFlow | ・乱流起因の多様な複合現象(燃焼、混相、騒音等)の解析 ・LES(Large Eddy Simulation)による大規模・高精度・高速解析 ・入力データ作成時の一連の処理を自動化するためのGUI | FrontFlow/red Ver3.0 | |
FrontFlow/blue Ver5.1 | ||||
FrontFlow/blue GUI Ver1.0 | ||||
ハイエンド計算ミドルウエア援用構造解析システムによる汎用連成シミュレーション | FrontSTR / HEC-MW | ・大規模並列処理機能を活用した複雑構造物の高精度高速解析 ・FEM解析、ソルバー、可視化等の並列解析用ライブラリー群 ・FrontSTRのサブセットに並列直接法機能追加したプログラム | hecmw-PC-Cluster Ver2.00 | |
FrontSTR Ver2.01 | ||||
FrontSTR for Win Ver2.01 | ||||
FrontSTR Ver2.01.pds-beta | ||||
都市の安全・環境 | 都市の安全・環境シミュレーション | EVE SAYFA | ・避難モデル統合解析 ・消化、移流拡散、延焼モデルを中心とする大規模統合解析 | EVE SAYFA Ver1.2 |
共通基盤 | 全体系最適化シミュレーションプラットホーム | PSE Workbench | ・革新的シミュレーションソフトウエアで開発したソフトウエア群の統合プラットホーム | PSE Workbench 5.1 |