2008年冬CCS特集:総論・電子実験ノートブック

研究業務改善・情報共有促進の要

 2008.12.04−製薬業向けの研究開発支援システムは、コンピューターケミストリーシステム(CCS)のなかでも大きな市場を持つ分野である。とくに、最近のユーザーの間でホットな話題になっているのが“電子実験ノートブック”(ELN)の導入。欧米では4〜5年前からブームになっており、グローバルなメガファーマはすでに導入・展開を完了させつつあるといわれているためだ。国内の製薬企業も、ここへきて導入を急ぎたいという思いを強くしてきている。実験を中心とする研究業務を効率化し、情報共有を促進する意味で、研究開発の強力なインフラになると期待されている。来年にかけて、実際の導入に向けたプロジェクトがますます加速することになるだろう。

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◆◇合成部門皮切りに導入活発化、情報化学基盤との統合で真価◇◆

 電子実験ノートブック(ELN)は、単純にいうと紙の実験ノートを電子媒体に置き換えようというもの。そもそも実験ノートは研究者にとって非常に身近な存在であり、業務の中で日常的に使用する。研究の課題、仮説、実験データ(目的、計画、手順、使用する装置・材料・試料、実験結果)、そして考察やアイデアなどを逐次的に記入していく。日付を必ず記し、自ら署名するほか、同僚や上司などにも署名・認証をしてもらう。一種の業務日報のように研究の進捗を明らかにするだけでなく、重要な発明や発見が得られた場合、それがいつ誰によって完成されたかを証明するための証拠ともなる。このため、先発明主義を採用する米国でとくに重要視されている。

 欧米では、大手製薬会社の合併が急速に進んだことで、研究情報をいかに共有するかという差し迫った課題がクローズアップされ、その結果としてELNを導入する原動力につながったといわれている。合成実験を行う有機合成部門を皮切りに、生物部門、プロセス化学や製剤、知財部門などへと水平展開が進展してきている。

 それに対し、国内市場はようやく合成部門への導入がはじまった段階。しかも、現場からのボトムアップ型のプロジェクトが多いため、全面展開に至るまでに時間がかかることも国内市場の特殊性だといえるだろう。現場の有志がELN導入の検討を開始し、理解者の輪を徐々に広げていくというスタイルである。この場合、電子化に無関心な層や抵抗勢力になる層も一定に生じてくるため、いずれかのタイミングでトップダウン式に決断を下すことも必要になってくる。

 また、国内では現状、ELNをスタンドアロン型(あるいは孤立したネットワークシステム)で導入しているケースが多いことも課題といえるだろう。もちろん、スタントアロンでも、紙のノートよりも情報の検索と再利用が格段に容易になるため、情報共有が促進されるというメリットはある。しかし、ELNが研究所の情報化学プラットホームと統合されると、その価値は何倍にも高まる。

 例えば、実験計画や合成経路の検討などを他のシステム上で行い、その結果をELNに反映させれば、作業効率は大きく改善される。また、実験に使う試薬の手当や、その使用量・残量の管理を、基幹の試薬管理システムと連携させることもできる。また、合成した新規化合物の情報や反応条件のデータなどをELNから基幹の化合物情報管理システムに直接登録することも可能。このようにして、合成研究者の日常業務が電子的なワークフローとしてシステム化されることにより、研究者は本来のクリエイティブな思考に集中できるようになるわけだ。

 一方、ELNの運用に関しては、電子ノートに記述したあと、それを印刷し、署名して紙のノートに貼り付けて保管する“紙と電子のハイブリッド型”と呼ばれる方法が主流となっている。この点は欧米でも同様で、紙をやめて完全電子化した事例は世界でもまだ数件にとどまっているということだ。

 完全電子化を実現するには、「研究所内のカルチャーを変える」などかなりの苦労が強いられるようだが、ある欧米のメガファーマの事例だと、完全電子化したのちは研究者の70%が紙のノートには戻りたくないと答えたほか、ROI(投資収益率)は10〜15%、3〜4年で回収できるという結論が出ている。

 国内のユーザーの間では、完全電子化した場合、発明や特許の訴訟時などに、ELNが証拠として有効性を示せるのかどうかを心配する声が多い。確かにそうした懸念はもっともだが、こうした電子記録の信頼性の問題はすでに解決されつつあると考えてよいだろう。もちろんELNシステムを拡張する必要はあるが、電子証明書を使った電子署名や時刻認証技術を組み合わせることで、そのELNに記述された内容が特定の日時に作成され、真正に成立しており、以降も改変されていないことを証明することが可能。技術的には、ELNの完全電子化を妨げるものはない。

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◆◇国内市場・大手2社一騎打ちの様相、長期戦略の観点から導入を◇◆

 さて、ELNの製品や市場の動向だが、海外には合成部門や生物部門、プロセス化学、製剤など分野ごとに分かれたかたちで、十指を超える製品が販売されている。ただ、最近のトレンドは統合製品で、ELNのプラットホームを統一し、テンプレートを使って各部門のELNに求められる仕様を満たしていくという戦略が主流になってきている。

 現在、国内で入手できるELN製品としては、英IDBSの「BioBook」(代理店はCTCラボラトリーシステムズ)、米IOインフォマティクスの「SentientDsektop」(同菱化システム)、米トライポスの「BenchwareNotebook」(同ワールドフュージョン)、米アジレント・テクノロジーの「Kalabie」などがあるが、現時点での実績では米ケンブリッジソフトの「E-Notebookエンタープライズ」が圧倒的に市場をリードしている。富士通がその導入の大半を担当した。これに対抗しているのは米シミックス・テクノロジーズの「SymyxNotebook」で、CTCラボラトリーシステムズと新日鉄ソリューションズがインテグレーションパートナーを務めている。統合ELN製品としては国内においては実質的にケンブリッジソフトとシミックスの一騎打ちとなっているのが現状である。

 実際にはケンブリッジソフトのリードはかなり大きいが、国内のELN市場は合成部門への導入の初期段階であることに加え、スタンドアロン型の導入例がほとんどであることから、まだまだ付け入る隙があるというのがシミックス陣営の考え方。

 というのも、研究所の情報基盤である基幹の化合物登録管理や試薬管理システムをシミックス(旧MDL)のプラットホーム製品である「ISIS」が押さえているからだ。実際、導入事例の中にはE-NotebookをISISにつなげているケースもある。そこで、シミックスとしては、システム統合する際のSymyxNotebookとISIS(あるいは次世代製品のIsentris)との相性の良さをアピールしていく作戦に出ている。逆に、ケンブリッジソフトもプラットホームをリプレースして「ChemOfficeエンタープライズ」で統一することも可能だと切り返している。

 今後、どちらの製品も一定のシェアを確保していくと思われるが、ユーザーはそれぞれのELN製品の機能や使い勝手を自社の業務やシステム要件に照らして比較するとともに、研究開発のIT基盤に関する長期戦略の観点から導入の検討を慎重に進めていくべきだろう。