イノベーション基盤ソフト(RISS)プロジェクトが6月にベータ版を公開

最新の研究開発成果を反映した新バージョン、産業界での利用促進へ

 2010.03.19−文部科学省「イノベーション基盤シミュレーションソフトウェアの研究開発」(RISS)プロジェクトは、各ソフトのコア部分の機能に関する研究開発をほぼ終了させ、6月からベータバージョンの公開を開始する。プロジェクト自体は2012年度まで続くが、早めにベータ版を提供することで実際に産業界での利用を促し、そのフィードバックを得て、さらに実用的なソフトに仕上げていく狙いがある。

 RISS(2008−2012年度)は、2002年度から2005年度まで実施された「戦略的基盤ソフトウェアの開発」(FSIS)、2005年度から2007年度までの「革新的シミュレーションソフトウェアの研究開発」(RSS21)の成果を踏まえて実施されているもの。具体的な推進体制としては、“次世代ものづくり”、“量子バイオ”、“ナノデバイス”の3グループに分かれており、最初のものづくり分野では、流体解析を中心にした「大規模アセンブリ構造対応熱流体解析ソルバー」、構造解析分野の「大規模アセンブリ構造対応構造解析ソルバー」、燃料電池自動車用の高圧水素容器の設計を課題に取り組んでいる「複合材料強度信頼性評価シミュレーター」、大規模な連成解析を行うために次世代スーパーコンピューターへの対応も進める「大規模アセンブリ構造対応マルチ力学シミュレーター」、2つ目の量子バイオ分野では、たん白質の全電子計算などに基づく「バイオ・ナノ分子特性シミュレーター」、標的たん白質に強く結合する薬品分子設計を目的とした「バイオ分子相互作用シミュレーター」、最後のナノデバイス分野では、極限的に微細化された半導体デバイス開発に役立つ「量子機能解析ソルバー・ナノデバイスシミュレーター」−の7つのテーマで実際のソフト開発を行っている。

 いずれも先行プロジェクトからの成果を引き継いでおり、RSS21での最終版も公開中だが、今回の6月のベータ版はさらに機能を強化したバージョンとなっている。

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[ProteinDF]

 量子バイオ分野のソフトは、「ProteinDF」と「BioStation」の2つ。ProteinDFには、中核となるたん白質全電子計算エンジン「ProteinDF」のほか、専用GUIである「ProteinEditor」、構造最適化や動的構造解析に利用できる分子動力学エンジン「ProteinMD」、スペクトルや電子移動の解析が可能な励起状態計算エンジン「ProteinCI」、計算データの再利用を目的とした波動関数データベース「ProteinQR」が含まれている。

 コアのProteinDFは、金属を含むたん白質の全電子カノニカル波動関数計算を目的として設計されたプログラムで、ガウス型基底関数を用いた密度汎関数法(DFT)に基づく分子軌道計算エンジンとなっている。これまでに、世界最大の全電子計算記録を何度か塗りかえており、2000年に金属たん白質チトクロームC(9,600軌道)、2006年にインスリン6量体(2万6,790軌道)などの事例がある。全電子計算を行ってこその貴重な知見が得られたケースも多いという。

 ProteinDFは量子化学計算としてはきわめて高速だが、それでも長時間の計算が必要になる。このため、大規模な並列処理環境への対応を進める方針。RI法による一点計算、ハートリーフォックやDFT(SVWN、BLYP、B3LYP、LC、DFT-D)などの各種計算手法、ダイレクトSCF、2次収束加速法、相互作用エネルギー計算などを並列化する。また、GPU(グラフィックプロセッサー)を用いた高速計算(分子積分、行列計算、分子軌道、電子密度、静電ポテンシャル)にも取り組む。さらに計算の効率化として、MPIとOpenMPのハイブリッド並列手法の導入、mmapを利用した大規模メモリー管理技術の採用も行うことにしている。

 このうち、GPU活用では分子積分計算で80倍に高速化した事例を持っており、6月のベータ版でも一部利用できるようになるという。

 また、ProteinCIを利用した励起状態計算による分光学的特性(IR、ラマン、NMRスペクトル)の予測については、開発がやや遅れているようだが、6月に間に合わない場合でも、できるだけ早めにサポートしたいとしている。

 一方、プリポスト処理を担当するProteinEditorの6月リリース版のハイライトとしては、GPUを利用した静電ポテンシャル計算の高速化、たん白質ポケットのリアルタイム検出機能、パワーポイントと連携したプレゼンテーション機能、固有反応経路探索(IRC)機能、分子構造や等値面などに対する領域抽出機能、スクリプトコマンドによる操作の実現−などがあげられる。

 シングルGPUでインスリン単量体の静電ポテンシャルを計算し、25時間かかった計算が15分で終了した事例があるという。この場合の実効性能は425ギガFLOPSに達した。

 これまでのProteinEditorは計算結果のポスト処理を中心に考えられていたため、たん白質と低分子の複合体などの初期構造を作成するための「ProteinModeler」も新たに用意された。

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[BioStation]

 バイオ分子相互作用シミュレーター「BioStation」は、量子化学的解析によって医薬品候補化合物とターゲットたん白質との定量的な相互作用を調べるためのシステムで、フラグメント分子軌道法(FMO)に基づく計算エンジン「ABINIT-MP」と、入力ファイル作成から計算結果の可視化・解析までをグラフィカルに行う「BioStation Viewer」から構成されている。

 最近の機能強化については、コアエンジン部分に関して、電子相関を考慮した構造最適化が可能なMP2エネルギー微分計算の導入、密度汎関数法(DFT)の導入、2電子積分計算を高速化するコレスキー分解法(CD)の採用−などを実施。また、拡張エンジン部分の機能強化としては、FMO法に基づいたQM/MM(量子力学/分子力学)計算の高速化、NBO(Natural Bond Orbital)による信頼性の高い電子密度解析−を実現してきている。とくにQM/MMについては、全体をFMOで計算すると約300残基のたん白質−リガンド複合体の構造最適化に1ヵ月かかってしまうところを、数時間から1日以内に短縮することを目標としている。

 また、全体的な高速化・並列化として、ベクトル計算機へのさらなる最適化を図っているほか、PCクラスター環境でも、フラグメント間をMPI、フラグメント内をOpenMPで並列化する“ハイブリッド並列化”を実装した。大規模配列をスレッド間で共有することでメモリー使用量が削減されるという効果も出ている。

 一方、「BioStation Viewer」の強化としては、ABINIT-MP向けの入力ファイル作成機能が高度化され、FMO計算に特有のフラグメント分割を自動・手動で任意に行えるようになった。QM/MMのための入力指定機能も追加され、使いやすくなっている。

 以上のうち、MP2微分とCD法、NBO法はプログラムの評価が遅れており、6月公開版には含まれないようだ。

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[PHASE]

 RISSプロジェクトでは、量子機能解析ソルバー・ナノデバイスシミュレーターを「PHASE System」として新たに体系化している。先行プロジェクトで開発されてきた「PHASE」は、ナノ物質の電子状態を密度汎関数法(DFT)に基づいて計算する第一原理計算エンジンで、全エネルギー、電荷密度の分布、電子の状態密度、バンド構造、安定な原子構造といった基本的な情報を求めることが可能。これらを用いて、半導体や環境エネルギー分野の各種ナノデバイスに必要な特性や機能を解析することができる。「PHASE System」としては、ナノ界面での電子ダイナミクス(電子の移動、電荷の分離、酸化還元反応)、ナノ界面での原子ダイナミクス(イオンの拡散、触媒反応)を調べる方向に舵を取っている。

 コアエンジンのPHASE自体も、RISSプロジェクトに移行して高機能化を図っており、通常のDFTでは過小評価されてしまうバンドギャップを補正するため、ハイブリッド汎関数による厳密交換相互作用の導入を行ったほか、分子間に働く分散力を求めるファンデルワールス密度汎関数、擬ポテンシャル平面波法を拡張したPAW(Projector Augmented Wave)法も採用した。また、PHASEは前プロジェクトにおいて地球シミュレータでの稼働実績もあるが、並列化に対するさらなるチューニングも行われているという。

 ナノデバイスにおける新機能の探索や設計のためには、その機能を担う電子の流れや動的挙動を高精度に解析・予測することが有効。このため、時間依存密度汎関数法(TDDFT)を用いて電子ダイナミクス解析と量子伝導解析を実現する。

 電子ダイナミクス解析はTDDFTを利用した時間発展型のシミュレーションであり、時間依存コーン・シャム方程式から逐次的に波動関数の時間発展を解き、電子密度・ポテンシャルを更新していくもの。プロジェクトでは、電子励起や光応答などの現象を扱うことができるプログラムの開発を進めている。これは、6月公開版には含まれない。

 量子伝導解析は、ナノ構造体の伝導特性に結びつく電子・スピンの流れを高精度に解析するもので、先行プロジェクトにおいて「ASCOT」の名称で提供されていたプログラムとなる。6月には最新バージョンとして公開される。

 一方、原子ダイナミクス分野で狙っているのは計算的手法による化学反応経路の探索。反応座標を拘束した構造最適化(分子動力学計算)を用いるもので、2原子間の距離、3原子がなす角度、4原子がなす2面角、ボンド長の差、さらに指定の原子の配位数や位置などの条件を拘束して、反応経路に沿って反応座標を逐次変化させていく。具体的には、NEB(Nudged Elastic Band)法、Blue Moon法、メタダイナミクス法などを取り入れていく予定。

 目標としては、セルロースの加水分解、および2次電池材料や燃料電池の化学反応・触媒反応への適用を目指し、プロジェクト中に本格的な実証研究に入りたい考え。今回の6月公開版では、PHASEの拘束条件付きダイナミクス機能を拡張し、まずはBlue Moon法を実装する予定となっている。