2010年冬 CCS特集:第1部総論、業界動向
進むシステム間連携、クラウド化の流れが浸透
2010.12.02−コンピューターケミストリーシステム(CCS)は、化学・材料・医薬などの研究開発を支援するIT(情報技術)ソリューションとして広範な領域をカバーする。量子力学や古典力学を利用した計算化学ソフトをはじめ、化合物情報などのデータベース(DB)管理システム、DBコンテンツを提供するオンラインサービス、研究開発のワークフローを支援する各種の業務システムなど、さまざまな分野が含まれるが、最近ではシステム間の連携や統合化が進み、研究現場での実効性・有用性を重視したソリューション志向が強まりつつある。
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■生命科学系:創薬から臨床まで総合支援を志向、材料科学系:計算エンジン束ね統合化へ
CCSが対象とする市場は、医薬品開発を中心とした生命科学分野と、環境関連やナノテクノロジーなどの先端材料研究に対応する材料科学分野の2つに大別される。
生命科学系は、対象が有機低分子化合物であり、比較的扱いやすいため方法論も発達して、さまざまなモデリング/シミュレーション技術が実用化されている。最近では、薬物が作用する生体側の情報と合わせたより実効性の高い手法の開発が進んでおり、たん白質を対象としたシミュレーション技術も一段の進歩をみせている。欧米のベンダーが中心だが、それぞれユニークな技術を特徴とする数多くの企業があり、百花繚乱の様相を呈している。
これらは新薬のタネを発見するための“創薬”支援システムと呼ばれるが、一方で候補化合物を非臨床/臨床といったプロセスを経て薬にしようとする“開発”にともなう業務を支援する各種システムにも注目が集まってきている。製薬企業にとっては、開発段階を効率化する方が高い投資効果が見込まれるという意見もあるためだ。
創薬分野と開発分野はベンダーも別々だが、輸入販売が主体の国内ベンダーはこれらを集めて総合的なソリューション提供を志向するところが増えている。ただ、欧米の方でもベンダー同士の協業が進んできており、将来的には両分野にまたがった買収・合併によって、創薬から開発までを通したトータルソリューション化が図られていく可能性も高い。
一方、材料科学系は、結晶やポリマーなど対象とする系が大きく、重い元素などもよく扱うために計算手法自体がいまだ発展途上の感が強い。扱う空間スケール・時間スケールのレンジがきわめて広いため、高速な計算アルゴリズム開発が重要であり、計算の実行に当たっても高速なコンピューター環境が必要とされる。また、問題のスケールごとに対応する計算手法を切り替える必要もあるが、最近では共通のプラットホームに複数の計算エンジンを統合する動きが目立ってきている。
これにより、現実の研究に役立つレベルでのトータルシステム化が図られつつあるのが現状。実用物性に近いところまでシミュレーションで予測できるようになりつつあり、今後のさらなる普及が期待されるところ。ユーザーも、素材・材料メーカーだけでなく、内部で材料開発・材料研究を行うエレクトロニクスや自動車メーカー、さらにそれらを顧客とする部品メーカーなどにまで市場が広がってきている。
材料科学系のベンダーは、生命科学系に比べて数がぐっと減る。もともとは自社技術を生かした計算エンジン一本で勝負していたところが多いが、いまではそのほとんどが統合システム化を志向する動きとなっている。材料科学系は、欧米のベンダーばかりではなく、国産ベンダーの活躍も目立つ。これは、エレクトロニクスや自動車の材料技術においては、日本が世界をリードする分野が多いことも関係しているだろう。
ただ、ソフトウエアビジネス的に考えると、世界市場を相手にする欧米ベンダーに比べて、もっぱら日本市場にとどまる国産ベンダーの不利は否めない。さらなる奮起を期待したい。
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■2010年市場、各ベンダー回復基調に
さて、今年のCCS産業の動向だが、いわゆるリーマンショックに端を発した世界同時不況はこの分野にもそれなりの影を落とした。とくに、米国経済の回復の遅れが指摘されているように、2009年度は米国のCCSベンダーには厳しい1年となったところが多かったようだ。
しかし、2010年度に入って回復傾向がみられ始めている。CCSベンダーには上場企業が少ないため市場の実態を把握することは難しいが、いくつかのベンダーの今年の経営状況をみていこう。
まず、今年7月に米シミックスと合併して名実ともに最大手となった米アクセルリスだが、今年9月期までの半年で売り上げは4,887万5,000ドルと前年同期に対して約870万ドル増、21.8%増となっている。ただ、利益面では、リストラなどの費用が計上されたため、1,589万1,000ドルの純損失。合併にともなう会計処理の関係で、非GAAP(企業会計原則)でみると、上期の売り上げは6,143万6,000ドル(前年同期比53.1%増)、利益は658万9,000ドル(同29.5%増)の増収増益になる。通期(来年の3月期)では1億6,500万ドルの売り上げ見通しとなっているが、これは旧アクセルリスと旧シミックスの前年度の売り上げ合計額からすると数%程度の成長率に相当する。
アクセルリスでは、2011年度は本当の意味で2ケタ成長が達成できるとしている。同社には1億5,000万ドル近いキャッシュがあり、M&A戦略にも意欲を示していることから、来年は大きな動きがありそうだ。
もう1社、上場しているベンダーとして米シミュレーションズプラスがある。薬物動態予測や化合物ライブラリーを利用した解析技術などで有名な企業で、今年の8月期として2010会計年度の決算が発表されている。それによると、売り上げは1,071万ドルで設立以来最高の数字を記録した。前年度比では17.2%増になる。同社には身体障碍者用ワープロ開発という別事業があり、CCS関連だけでいうと、売り上げは762万ドル、同20.5%増という結果である。
そのほか、米ケンブリッジソフトは非上場だが、売り上げは5,000万ドルを超えているとみられ、今年も6〜7%のペースで成長しているようだ。米シュレーディンガーも2,000万ドル以上の売り上げがあるとみられており、今年の春にマイクロソフトの元会長であるビル・ゲイツ氏の個人投資会社から1,000万ドルの出資を受けたことから想像されるように、順調な伸びを示しているのだろう。
これらのことから、全体として欧米のCCS産業は確実に成長性を取り戻しつつあるといえそうだ。
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■クラウド対応に注目集まる、計算化学分野でも事例
そうしたなかで注目されるのが、クラウドコンピューティングの動向である。IT(情報技術)業界全体としてもクラウドはここ10年で最大のビッグウェーブであり、一大ブームの様相を呈している。実際に国内外で導入も進んできており、来年以降も、ITのトレンドを示す最重要のキーワードである続けることは間違いない。
具体的に、プライベートクラウド、パブリッククラウドなどと区分けされ、情報システムを社内と社外に自由に配置・展開できることが大きな特徴となっている。エンドユーザーはシステムが社内にあるか外部にあるかを意識せずに使うことができ、管理者はパブリッククラウドにホスティングしたアプリケーションを社内と同じツールで管理することができる。こうしたプライベートパブリックのハイブリッド運用が、クラウドの本格導入を後押しする主要な動力源になっているとされる。
CCS分野にもクラウド化の流れは着実に浸透してきており、ケンブリッジソフトとアクセルリス(旧シミックス)がちょうどほど1年前から電子実験ノートブックのクラウドサービスを本格的に事業化している。ケンブリッジソフトのサービスは、すでに米国、欧州、太平洋の三極で10を超える企業あるいは研究組織で利用されているという。アクセルリスも数件の実績があるようだ。ただ、大手製薬企業での本格的な導入はまだこれからで、現時点では研究組合による共同プロジェクトなど、外部の機関と研究データの共有化を一時的に図る目的で利用されるケースが中心となっている。とはいえ、電子実験ノートのような業務系のアプリケーションは、ある時点で一気に普及に向かう可能性も高い。
クラウド化の動きは、計算化学などのシミュレーションの世界にも広がる動きがある。例えば、アマゾン・ドットコムは日本ではインターネット通販業者のイメージが強いが、米国ではクラウドサービス事業者としても知られており、「Amazon EC2」(エラスティック・コンピュート・クラウド)の一部としてクラスターコンピューティングサービスを提供している。技術計算向けに約42テラFLOPS(毎秒42兆回の浮動小数点演算を実行)のマシンを特別に用意しているとされる。アクセルリスによると、実際にこのEC2でアクセルリスの計算化学エンジンを稼働させているユーザーがいるということだ。
国内では、富士通が材料設計支援プラットホームの「SCIGRESS」をクラウド環境で提供することを検討している。現在、ユーザーニーズを調査中だが、早ければ来年度からサービスに踏み切る予定。アマゾンと同じ位置づけだが、日本IBMもこの11月から高速技術計算のためのクラウドサービスを正式に開始している。とくにGPU(グラフィックプロセッサー)を利用できることが特徴であり、8個のGPU(4.12テラFLOPS)を1カ月間利用した場合の価格は160万円から。
クラウドで分子シミュレーションを行ううえでの技術的な問題点はないので、要はユーザーがコストメリットをはっきりと認識するかどうかが普及に向けたポイントになるだろう。そのためには従来の社内システムの場合に、ハード・ソフトの総コスト(運用管理や人的コストも含めて)がどうなっているかを正確に把握しておく必要がある。現在のことろ、こうした視点でコストを管理しているユーザーは少ないと思われるが、そうした意識が変わってくると、クラウドへの流れが一段と加速することになるだろう。