2014年冬CCS特集:第2部総論(技術動向)
ICH M7対応で計算毒性予測に脚光
2014.12.04−計算による化学物質の毒性評価に注目が集まっている。日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)のM7「潜在的発がんリスクを低減するための医薬品中DNA反応性(変異原性)不純物の評価及び管理」のガイドライン案が今年の6月にステップ4 に達し、来年には正式に施行される(ステップ5)ことを踏まえ、毒性予測ソフトを提供するCCSベンダーとそれを利用する製薬業界の双方が具体的な準備に向けあわただしく動き始めたからだ。それに呼応するかたちで、国内で初めての「計算毒性学研究会」がCBI学会(情報計算化学生物学会)の中に組織されるなど、その関心と応用は、今後ますます広がると期待される。
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◆◆環境規制など広がる応用、国内初の研究会発足◆◆
計算による物性予測は、QSAR(定量的構造活性相関)として、CCSの古くからのテーマとなってきた。化合物の構造的な特徴をあらわすディスクリプターと呼ばれる記述子を使い、生物学的あるいは物理的性質と化学構造との関係を統計学的に解析することで、それを予測するモデルを組み立てることができる。
すでに、医薬などの研究現場で、生物活性の評価、体内動態に関係するADME(吸収・分布・代謝・排出)特性の検討、毒性スクリーニングなどに活発に利用されているほか、REACHなどに代表される化合物規制、環境に関する規制、さらには動物実験を使わない代替法としての予測手法への展開など、さまざまな分野や研究で注目されつつある。とくに、化粧品分野ではEUでの審査に動物実験のデータを用いることが禁止されており、インビトロ(試験管)かインシリコ予測でのデータしか提出できないようになっている。
こうした背景のもと、欧米では国が関与するプロジェクトや多くの企業が参加する研究会などが立ち上がり、「計算毒性学」が一定の実績をあげつつある。しかし、国内にはこれを専門とする研究者が少なく、学会にも発表の場が限られるのが現状だった。
そうした状況を打破すべく設立されたのが、CBI学会の計算毒性学研究会。10月末のCBI学会2014年大会でキックオフミーティングが開催され、正式に活動を開始している。会員はすでに80人を超えているが、半数はCBI学会の非会員であり、計算系の研究者以外にも関心が広がっていることを示しているようだ。なお、同研究会の会費は無料で、CBI学会員でなくても入ることができる。
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◆◆変異原性不純物を評価、2種類の予測手法を併用◆◆
計算毒性学が注目を集めているのは、ICHのM7の動きとも関係が深い。これは、2010年10月にICHにおいて遺伝毒性不純物に関するガイドライン策定が承認されたことにはじまり、その11月から作業が開始されたもの。2012年11月にステップ2 文書が完成し、2013年11月からパブリックコメントへの対応が行われた。そして、今年の6月にステップ4 としてガイドライン案が発表されている。中身としてはこれでほぼ確定となっており、あとはステップ5 (施行)を待つだけの段階である。
M7ガイドラインは、原薬および製剤に低レベルで存在するDNA反応性(変異原性)不純物の評価と管理について推奨される手順などをまとめたもの。M3「医薬品の臨床試験及び製造販売承認申請のための非臨床安全性試験の実施についてのガイダンス」を補完する位置づけにある。とくに、コンピューターによる毒性評価法を明記していることがポイントだ。
遺伝毒性不純物の安全性は、クラス1からクラス5までの5段階で評価される(別表参照)。全体として、遺伝毒性データベースおよび文献検索を用いて既知の情報を調べ、明らかに変異原性が認められるクラス1(既知のがん原物質)とクラス2(既知の変異原)、そして明らかに非変異原性であるクラス5に分類される。
つまり、毒性予測ソフトが利用されるのは構造アラートを持つクラス3あるいはクラス4を対象としたものとなる。予測には、知識ベースと統計ベースの2種類のQSARソフトを用いる必要があり、ともに陰性(変異原性なし)と判定されればクラス5として扱われる。もし、2種類のQSARによる予測が食い違うと、専門家によるあらためてのレビューが必要になり、別表の「M7ガイドラインによる毒性予測ソフトの利用要件」に示した第4項目の予測結果の裏付けとなる情報が求められることになるようだ。また、使用される毒性予測ソフトは、別表に示した「OECDバリデーション原則」に従っていることが条件である。(別表参照)
そもそも、化学物質の毒性にもいろいろなものがあるが、ヒトへの安全性を評価するうえで最も関心が高いのが発がん性だろう。その原因となる変異原性を取り上げたのが今回のM7だ。これを測定する試験は Ames(エームス)試験と呼ばれ、ネズミチフス菌を用いて復帰突然変異を検出する。同じ遺伝毒性物質であっても、Ames 試験で陰性になるものは閾値メカニズムを有していて、通常の濃度ではヒトでの発がんリスクはない。一方、低レベルでDNAに直接損傷を与え、がんを誘発する可能性の高い物質は陽性と判定される。
ただ、その対象は医薬品に含まれる不純物の変異原性であり、もともと微量な不純物を単離・精製して安全性試験を行うことは困難である場合が多い。また、ヒトを対象にした臨床試験の段階でリスクのある不純物を服用させることはできないため、インシリコで予測することが適したテーマであるとして、今回のM7で取り上げられたということだ。
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◆◆対応ソフト出揃う、統計ベースで競争激化◆◆
さて、実際のM7対応ソフトの状況だが、M7ガイドラインには特定のソフトを使用するという指示はないため、その利用条件を満たしていればどのようなソフトを選択してもかまわない。ただし、知識ベースと統計ベースで、少なくとも2本のソフトが必要になる。
現在、国内で入手可能な市販ソフトを別表にまとめた。知識ベースでは、英Lhasaの「Derek Nexus」(代理店はCTCライフサイエンス)と英オプティブリアムの「StarDrop」(同ヒューリンクス)の2本だが、後者は前者を組み込んで使うソフトなので、実際には知識ベースのソフトとしての選択肢はDerek Nexusだけということになる。
一方、統計ベースのソフトは数が多く、英Lhasaの「Sarah Nexus」(CTCライフサイエンス)、米リードスコープの「Model Applier」(CTCライフサイエンス)、スペインのプロウスインスティチュートが開発した「SYMMETRY」(菱化システム)、富士通九州システムズが自社開発した国産の「ADMEWORKS」、米マルチケースの「CASE Ultra」(インフォコム)がある。米シミュレーションズプラスの「ADMET Predictor」も予測機能は備えており、近日中にはOECDバリデーション原則に対応して、正式にM7商戦に参入する構えだ。
いずれも、インシリコ毒性予測に先行して取り組んできた米食品医薬品局(FDA)からのデータ提供を受けたり、あるいは共同開発したりして製品化されたソフトであり、基本的な機能は変わらない。M7の要件もそれぞれ満たしている。海外のメガファーマは複数のソフトを使い分けるといわれているが、国内製薬メーカーは知識ベースで1本、統計ベースで1本と、導入するソフトを最小限に絞るところが多いとみられている。このため、市場では統計ベースのソフト間の競争がし烈になると予想される。
そこで、いくつか特徴となる点をみていくと、まずSarah NexusはM7に合わせて開発された新しい製品だが、知識ベースのDerek Nexusと共通のプラットホームで利用できることがメリット。英Lhasaは毒性データベースのVitic Nexusも提供しており、M7に基づく安全性評価のワークフローを一貫して支援できる強みがある。
リードスコープのModel Applierは、すでに5〜6年の実績があり、ソフトとしての操作性に優れていること、予測感度が高いことなどで評価されている。試験データを含めたリファレンスが充実しており、予測の根拠としてより詳細なデータを提示できるということだ。
プロウスのSYMMETRYは、背景となるデータセットの豊富さが特徴。開発元は学術出版社が母体であり、50年以上にわたって数千万件の化合物情報を収集し続けている。世界中の学術文献を網羅しているので、予測の基礎となるデータの出所も明確で、自前のラボで自らデータを取ることも行っているという。
マルチケースのCASE Ultraは、急性毒性や遺伝毒性、がん原性、肝毒性、腎毒性、神経毒性、催奇形性、刺激性など150種類以上の予測モデルを提供。M7対応として今年の春にバージョンアップされ、データセットの追加も行われた。判定できる化合物の種類が広がったことが特徴だとされている。
唯一の国産ソフトである富士通九州システムズのADMEWORKSは、やはり国産であることが最大の強みだといえるだろう。予測のためのデータセットとして、米保健福祉省のNTP(国家毒性プログラム)のデータのみを採用し、予測結果の信頼性情報として化合物空間図のほか、トレーニング化合物の類似化合物検索、トレーニング化合物の各記述子値の範囲内検索などの機能を提供する。モデルに含まれていない既存化学物質を用いて、予測性の外部検証も行っている。
このほかにも、M7対応ではないものの、CCS製品の中で化学物質の毒性・危険性を予測するQSARソフトは数多い。今回のM7に限らず、インシリコによる評価法は今後ますます広がりをみせるはずで、その活躍の場も多くなっていくだろう。
クラス | 定義 | 管理の指針 | 変異原性の有無 | 毒性予測ソフトの適用 |
クラス1 | Known mutagenic carcinogens | 個別の容量管理 | あり | × |
クラス2 | Known mutagens with unknown carcinogenic potential | 毒性学的概念の閾値(TTC)による管理 | あり | × |
クラス3 | Alerting structure, unrelated to the structure of the drug substance; no mutagenicity data | TTCによる管理、あるいはAmes試験による追試 | あり | ○ |
クラス4 | Alerting structure, same alert in drug substance or compounds related to the drug substance | 非変異原性不純物として管理 | なし | ○ |
クラス5 | No structural alerts, or alerting structure with sufficient data to demonstrate lack of mutagenicity or carcinogenicity | 非変異原性不純物として管理 | なし | × |
コンピューターによる毒性評価は、細菌を用いる変異原性試験の結果を予測する(Q)SAR法を用いて実施する |
異なる2つのインシリコ(Q)SAR予測手法(知識ベースと統計ベース)を用いる |
これらの予測法を用いる(Q)SARモデルは、OECDによって定められたバリデーション原則に従う必要がある |
(Q)SAR解析結果で、その結論に至った裏付けとなる情報を提出する(要求があった場合) |
エンドポイントの定義 |
あいまいさのないアルゴリズム |
適用範囲の定義 |
適合度、頑健性、予測性の適切な評価 |
可能ならば、メカニズムに関する解釈 |
*1 Derekを組み込んで使用、 *2 近日OECDバリデーション対応
名称 | 予測手法 | 販売会社 | 開発会社 |
Derek Nexus | 知識ベース | CTCライフサイエンス | 英Lhasa |
StarDrop *1 | 知識ベース | ヒューリンクス | 英オプティブリアム |
Sarah Nexus | 統計ベース | CTCライフサイエンス | 英Lhasa |
Model Applier | 統計ベース | CTCライフサイエンス | 米リードスコープ |
SYMMETRY | 統計ベース | 菱化システム | スペイン・プロウスインスティチュート |
ADMEWORKS | 統計ベース | 富士通九州システムズ | 富士通九州システムズ |
CASE Ultra | 統計ベース | インフォコム | 米マルチケース |
ADMET Predictor *2 | 統計ベース | ノーザンサイエンスコンサルティング | 米シミュレーションズプラス |