2020年冬CCS特集:第2部総論(インタビュー)
伊藤聡・計算科学振興財団チーフコーディネーター(元MI2Iプロジェクトリーダー)
2020.12.02−昔ながらの経験とカンではなく、データ駆動型で革新的な新材料の開発を目指すマテリアルズ・インフォマティクス(MI)はいまや大きな潮流となっている。日本を代表する化学・材料企業の多くが経営戦略レベルでMIに取り組み、研究開発の中核的な技術にMIを位置づけている。このブームの先駆けとなったのが、2015年7月から2020年3月まで、科学技術振興機構(JST)イノベーションハブ構築支援事業として実施された「情報統合型物質・材料開発イニシアティブ」(MI2I、エム・アイ・スクエア・アイ)だ。推進拠点となった物質・材料研究機構(NIMS)でプロジェクトリーダーを務めた伊藤聡・計算科学振興財団チーフコーディネーター(兵庫県立大学 産学連携・研究推進機構 特任教授)は、MI研究のハブとなる拠点を残すことができたこと、材料研究に関する国の方向が変わったこと、研究者のコミュニティを組織できたこと−の3点を成果として強調する。
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◆◆MIブームを先導、NIMSにハブ拠点構築◆◆
− MI2Iのスタートについて振り返ってください。
「2011年6月から始まった米国マテリアルゲノムイニシアティブ(MGI)の後追いではないかと言われることもあったがこれは間違い。Mi2I立ち上げに尽力された寺倉清之先生(NIMSフェロー)は、データを活用すべきだという問題意識を古くから持っておられ、1987年の学会誌にそのことを書いている。わたし自身は東芝の社員として産業界に長くおり、電子構造計算と構造活性相関(QSAR)を使った化学物質の有害性評価の研究などを通じ、産業界の立場でデータの重要性を認識していた」
「大きな契機になったのは、2007年にJST研究開発戦略センター(CRDS)の科学技術未来戦略ワークショップ報告書。わたしがシミュレーションの部分を任された際、自分の問題意識を反映させて、シミュレーションだけじゃなく、データを使うことも大事だという考え方を盛り込んだ」
− この報告書の中で「マテリアルインフォマティクス」という言葉を使われていますね。
「いまとは表記がちょっと違うが、日本で初めてだったかもしれない。このときはまだ大きな流れにならなかったが、2013年8月にCRDSから戦略プロポーザル「データ科学との連携・融合による新世代物質・材料設計研究の促進(マテリアルズ・インフォマティクス)」が提出された。これをベースに産官学でいろいろな動きがあり、2014年から内閣府で「戦略的イノベーション創造プログラム」(SIP)が始まり、2015年からは文部科学省でわれわれの「MI2I」が始まり、2016年から経済産業省の「超先端材料超高速開発基盤技術プロジェクト」(超超PJ)がスタートするという一連の動きにつながった」
− なるほど。ぽんと出てきたプロジェクトではなく、長年のいろいろな取り組みが背景にあったのですね。
「とくに、JSTのイノベーションハブ構築支援事業のもとで行われたことがポイントだ。これは、国立研究開発法人のシステムを改革することが狙いで、国研が持つ技術や成果を大学などのシーズとうまくつないで、社会に展開できる拠点づくりを目指したもの。いわゆる学振のような研究プロジェクトではなく、アカデミアと産業界をMIでつなぎ、産学の人材糾合の仕組みをどうするか、終了後にも経験やノウハウを引き継いでいかに自立できるかまで考慮して進めた」
◆◆データで“わかる”“できた”◆◆
− MI2Iの成果についてはどう考えていますか。
「個別の研究成果はいくつも出たが、少し別の角度から説明したい。まず、MIは日本語に訳すと材料情報学だが、われわれがわざわざ『情報統合型物質・材料研究』と称した意図は、データを使って物質科学の理解を深めたいということ。つまり『わかる』ということが大事だ。そして、シミュレーションなり機械学習なりで、こういうものができるだろうと予測しても、実際にはつくれないことが多い。企業で実務をしていた経験からすると、実際につくれないのでは意味がない。そこで、プロジェクトの後半では実際に『できた』ということに重点を置いた。電池材料、超電導材料などを作成し、予測した通りの特性を持っていることを確認した」
「ただ、もっと大きな成果があって、それを3つあげたい。第1は、イノベーションハブの趣旨に関係するが、NIMSの橋本和仁理事長のリーダーシップもあって、統合型材料開発・情報基盤部門(MaDIS)が設立され、研究チームを入れて、プロジェクト終了後もMIに基づく材料研究の拠点としてやっていくための組織が確立されたこと。第2は、国の方向性が変わってきたことだ。文科省が来年度から検討している『マテリアルDXプラットフォーム構想』は、まさにMIを中核にした巨大プロジェクトだ」
− この構想には、2021年度予算として115億円が要求されていますね。内訳をみると、NIMSを中心とするデータ拠点の整備だけで42億円の要求です。これだけで、MI2I全体予算の約2倍です。
「いきなりこの規模の予算でゼロからスタートするのは難しかったと思う。MI2Iはプロジェクトリーダーの目が末端まで行き届くという意味でもちょうどいい規模感で、うまくマネジメントできた。これがひとつのステップになり、われわれの5年間の活動がいくらか評価され、国の方向性が変わったのだとすればうれしいことだ」
「話を戻すが、MI2Iの3番目の成果としてコンソーシアム活動を取り上げたい。当初の予定にはなかったが、やはり産業界の人々を巻き込みたいと考えて企画した。アカデミアの研究者であれば、同じ分野で仕事をする仲間はすぐにわかるが、民間の方は企業の壁もあり、ネットワークを築くのが難しい。すでに、応用物理学会や人工知能学会の中にMI関連の分科会がつくられており、今後も情報交換をしていくことができる。特定のテーマでがっちりとやるなら、NIMSが『データ駆動材料開発パートナーシップ』を立ち上げている。こういうふうにコミュニティができたことは非常に大きな成果だと思う」
− よくわかりました。MI技術は今後どう発展していくのでしょう。5〜10年先の展望はいかがですか。
◆◆データ駆動型3つの視点◆◆
「MI2Iが始まったころは産業界の期待がものすごくて、何でもできるんじゃないかというイメージがあった。最近はちょっと冷えてきて(笑い)、できることとできないことがあるという感覚になってきている。ものづくりのためのデータ駆動型アプローチを考えると、物質の構造や組成が機能や物性とどう関係するかの理解を深め、『何をつくるか』のところを確立させたのがMI2Iの仕事だった。しかし、実際につくろうとすると、つくり方が分からないことが多い。『どうやってつくるか』にはプロセスインフォマティクスと呼ばれる考え方が重要で、これはいま非常に注目されている。一方で、ものができたときに、『何ができているのか』を見定めることが必要で、ここには計測インフォマティクスという分野が発達しつつある。この3つをうまく回す仕組みがいるだろう。これによって、できることとできないことがはっきりしてくる」
「それから、機械学習をすると候補がたくさん出てくるが、コストを考えると間違いのないものでないとつくれない。これは今後大きな問題になると思う。機械学習の予測精度をものすごく上げるためにはどうするか、それができないのなら、コストをかけず迅速に候補を評価する技術が必要になる。これに有効なのがデジタルツインという考え方で、サイバー空間に現実の反応器のようなデジタルの双子をつくり、そこで評価することによって、どれを実際につくるかを決めることができる。サイバー空間で導き出した結果を、いかにローコストで物理空間に落とし込むかが課題になるだろう」
◆◆材料データのプラットフォーマー登場も◆◆
− なるほど。確かに重要な視点ですね。肝心のデータについてのお考えはいかがでしょう。
「材料データの多くは企業が持っていて、これはたいへんな蓄積だ。ただ、これは各社の競争力の源泉だから、企業はそれらのデータを外に出したりはしないとみんな思っている。しかし、音楽コンテンツのように、材料データを流通させる巨大プラットフォーマーが登場するのではないかと思う。こういう仕組みがあればデータそのものが大きな価値を生むわけだし、サービスとしてかなりのビジネスになる。長い目でみて、将来MIが発展していくための基盤になるはずだ」
− 先生自身は、今後どんな目標をお持ちですか。
「国全体でMIを推進する体制としては、中枢となる総本山が置かれ、各地に国分寺が展開するというスキームが必要だと思う。文科省の方針では、NIMSが材料研究のデータ中核拠点になるわけだが、分野に応じた強みを持つコミュニティからのボトムアップも重要であり、わたし自身はその役割を果たす国分寺を関西につくる活動に携わりたい。ここ兵庫県には、スーパーコンピューター「富岳」があり、放射光施設の「SPring-8」もある。計算と計測という大規模インフラが整っている。地元の神戸大学、兵庫県立大学、さらに大阪大学などのアカデミアの力をうまくコーディネートしていければいい。産学連携は、地域の産業構造を踏まえないとだめ。関西の産業構造と東京の産業構造は違うので、それを踏まえることが国分寺の重要な視点になる」
− 米国MGIは終了しましたが、その成果を踏まえた活動は継続していますし、中国もこの分野に大きな予算を投じています。日本は勝てますか。
「勝ち負けで言うと厳しいところはあるが、これからはいかに連携するか、国際協力の視点も重要だろう。さきほど、データ流通ビジネスの話をしたが、材料データは国境に関係なく有用なものなので、法整備など課題はあるがうまく連携できればいいと思う」
− ありがとうございました。